劇団はぐるま座
山口市徳地 3カ寺の大法要で2作品を上演
2025.4
山口市徳地の寶雲山正慶院(田中正道住職)で4月17日、春の大法要がおこなわれました。住職の父である先代の住職(63歳で他界)の33回忌にあたり、戦後80年でもある今回は、法要後に『原子雲の下からあなたへ―峠三吉と子どもの詩』(短縮版)を上演しました。また、同13日には法盛院寿福院で、26日には阿耨山正覚寺(いずれも兼務住職)でも春の大法要がおこなわれ、スクリーン紙芝居・童話『百足競走』(原作・峠三吉、脚色・絵・音楽・劇団はぐるま座)を上演しました。
田中住職のお父さんが残したカセットテープ
上演にあたって田中住職は、「30代の時に父がガンで亡くなる約1カ月前に初めて被爆の体験を聞いた。それまでは原爆のことを一度も話したことはなかった。教師でもあったため、本当は手記を書き残したかったが時間がなく、体力の限界もあり、あまり長い時間話すことはできなかったが、〝これから話すことを録音して残してほしい〟と頼まれ、カセットテープに残した」
「父は14歳だった中学2年生の時に、宮島の軍需工場に動員学徒として働いていた。そこで原爆投下を受け、すぐに広島市内へ救援に入った。その後体調を崩して広島の原爆病院に入院した。市内のあちこちを回って見た広島の光景は言葉にならないほど悲惨な状況で、この体験から〝自分はそれから平和主義者になった。戦争は絶対にだめだ〟〝それが仏道に進み僧侶となった原点だ〟と話していた」と語られました。
また「中学生で、幼子を抱いた父親が亡くなっていた光景、そこら中に血だらけの死体があったことを見てきた父は、当時の夢を何度も見ていたようで、闘病中に病室で寝ている時も、夢に負傷者がたくさん出てきて、叫びながら目を覚ますと、〝ここはどこだ?原爆病院かと思った〟と言っていた。今年つくった〝北向あんねい地蔵〟と〝無縁搭〟にもそうした父の思い、現在闘病中の母の思いがある」と話されました。
舞台が始まると、詩の一言一句に頷きながら観る人、時折涙を拭いながら観る人などの姿が見られました。
終演後、60代の男性は、「日常のなかではなかなかこういう体験を聞く機会やじっくり考える機会がないので、今日はとても良い時間になった。私も頑張らなければと思った」と語り、80代の女性は、「(昭和20年)5月17日の名古屋空襲の直爆で父が亡くなった。5歳の時だった。5月17日のことは忘れることはできない。8月には戦争が終わったのに…。あの(舞台の)とおりだった。いいものを観せてもらった。よかった」と話されました。
女性は、爆撃によって見失った父を捜して後ろを見ると、父の脳みそがぐちゃぐちゃに出ていたという。また、大空襲だけでなく空襲警報のサイレンが鳴っても隠れずに、興味を持って顔を上げていた同級生(5歳児)が何人も機銃掃射でやられ、首がなくなっていたことも忘れることができない。今でもサイレンの音が一番怖いという。
住職は、「峠さんの〝かえせ〟の言葉。父が見てきた悲惨な光景もそうだが、誰しも死にたくない。生きていたい。それなのに命を奪われる。でも確かに生きていた。生きていたからこそ〝かえせ〟なのだと。〝かえせ〟の中には、生きていた証がある。命を使うと書いて使命という言葉は仏教にもあり、何かを本当に伝えたい時、情熱を持って命を使うことで初めて人に伝わる。峠さんの詩の中にもそれが貫かれているのだと思う」と話していました。
北斗星と北向地蔵、無縁搭
今年境内に建立された北向地蔵と無縁搭について住職に話を聞いた。そして概ね以下のように語られました。
何も教えてくれなかった父が唯一教えてくれたのが、小学校三年生の頃、北斗星と北斗七星の位置だった。当時の大きな懐中電灯を一灯ずつ照らしながら、「北斗星は二等星だから一等星ほどの輝きはない。でも動かない」と。空襲の時「○○○(方角)からB29」と言われるので、北斗星の位置で逃げなければいけなかった。命を守るために。間違えれば死んでしまう。そんな中を生きてきたからこそ、教えてくれたのだと思う。
北向あんねい地蔵は、病気やケガがなんでも治るといわれる宇部の北向地蔵のご利益を受けたい思いもあるが、どこかに父が教えてくれた「北」がある。命を守るための「北」だったのだと今は思える。そこに記した「あんねい」は漢字の「安寧」でもいいが、昔は学校に行けず漢字が読めない人が地域にもたくさんいた。寺の側が民衆の側に行くというのが本来の姿であり、子どもでも読めるようにとあえて平仮名にした。
無縁搭は、父の見た、誰かもわからないけれど、そこで亡くなっていた人たち、親子らのことも重ねて、今の時代でも、身寄りのない人やどんな人であっても供養できるものをと造った。
また先代について、「戦後ずいぶん経ってから被爆手帳をとっており、それも当時行動をともにしていた同級生からの勧めで、友人たちが申請の証人にもなってくれた。父の遺言に、〝(自分が)亡くなったら同級生たちに報せてほしい〟とあり、報せたけれど、すでにその人たちは亡くなっていた。それもガンだった。大酒飲みだった父だが、一面では忘れられない悲惨な記憶から、飲んでいないとやりきれないというのもあったのだろう」と語られた。
寿福院と正覚寺でのスクリーン紙芝居・童話『百足競争』
寿福院と正覚寺でのスクリーン紙芝居・童話『百足競争』は、初公開となる約30枚の絵をスクリーンに投影しながらの作品。峠三吉が昭和22年に発表したもので、国民学校五年生の少年四人の物語。背の低い順から四人の少年たちの中には、身体が弱くて学校にあまり来られない子、生まれつき片方の足が短くて周りからからかわれがちな子、成績がよくない子…。そんな少年たちが運動会で百足競走をやることになり、出場するかどうかもすったもんだしながら、練習を重ね、互いの絆を深めていきながら、とんでもない力を発揮していく物語。
春を前に肌寒い日ではあったが、庭の桜や美しい花々が明るい日差しの中で輝く好天気に恵まれた。おごそかな雰囲気の中、中高年の人々に混じって今年は中学生の参加もあった。寿福院は昨年スクリーン紙芝居『とけた青鬼』を上演し、正覚寺は一昨年の大型ペープサート『鬼の子角のお話』、昨年の『とけた青鬼』に続いて3回目の上演となり、「楽しみにしていた」「今年もよろしく」と親しく語りかけられました。
終演後、中学生は「良かったです」「面白かったです」と顔をほころばせながら語り、70代の女性は、「いつも楽しみにしている。写真に撮って、帰って見返しているんですよ」と嬉しそうに話していた。また、涙目で言葉少なに「ありがとう」と語る男性や、初めて観たという男性が、「声が大きくてビンビン伝わってきて驚いた。さすがプロなんだなと思った」と語っていました。
また女性は、「以前〝鬼の子の話〟を観せてもらったが、今回は観ながら子どものことを思った。学校も休みがちで友だちもなかなかつくるのが難しいようで心配している。でも、この物語のように、弱い人間でもみんなで力を合わせて真の友だちになっていくことに感動した。今一番大切なことだと思ったし、子どもにもこういう真の友だちができたらと思った」と興奮の面持ちで語られました。
「つらい体験、苦しい思いをした人ほど、人に対して優しいし思いやりがある。それが作品に表れている」と語る男性の姿もあり、来年も法要後になんらかの作品を上演することが決まりました。
正慶院の境内に建立された北向地蔵
正覚寺でのスクリーン紙芝居『百足競走』
劇団はぐるま座
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