人民に奉仕し 人民とともに
時代を拓く高杉晋作の志を現代に
高杉晋作150回忌
下関市・吉田の東行庵と新地の終焉の地で第150回東行忌
各地からの参加者であふれかえった高杉終焉の地での碑前祭
明治維新の志士・高杉晋作の命日にあたる4月14日、高杉の墓所である下関市吉田の東行庵と、新地の高杉東行終焉の地で、第150回東行忌が盛大におこなわれました。地元や市内をはじめ、県外からも多くの人人が訪れ、吉田では約500人、新地では約270人が参列。防長50万領民の力を信じて、民族の独立と世直しを成し遂げた高杉晋作の偉業を顕彰し、その志を現代に受け継ごうとの熱い思いがみなぎりました。はぐるま座の劇団員も参列して焼香し、新地では『動けば雷電の如く』の一場面を上演しました。
吉田では、東行庵を支えてきた地元の人人をはじめ、千葉県から駆けつけた高杉晋作直系の子孫一家や萩市の東行先生遺徳顕彰会、福岡県の野村望東尼顕彰会、香川県の日柳燕石顕彰会の人人が集団で参加。また全国各地の高杉愛好家ら50人がツアーを組んで訪れたり、仕事を休んで駆けつける若い世代の姿が目立つなど、例年にない盛会となりました。
東行庵には150回忌記念事業として、高杉が功山寺決起の直前、大庭伝七(白石正一郎の弟)宛の手紙で依頼した自らの墓碑銘「(表)故奇兵隊開闢総督高杉晋作則/西海一狂生東行墓/遊撃将軍谷梅之助也 (裏)毛利家恩古臣高杉某嫡子也」を刻んだ碑が建立され、墓前祭の初めに除幕式がおこなわれました。
作家の古川薫氏が「高杉先生の最高の功績は維新史を画期的に展開された功山寺挙兵だ。極限状況に立たされた指導者の決断力と知的かつ勇敢な行動力を総合した成果によって歴史を旋回させたもので、晋作でなければできなかった大事業だった。墓碑銘は、晋作の全行動を集約したもので、決起にかける思いがこめられており、墓碑銘としても傑作である」と紹介。東行庵代表の松野庵主は、墓誌碑が建立されたことで高杉の思いを後世に伝えていけると喜びを語り、拠金協力への謝辞をのべられました。
墓前祭では、吉田緑保育園の園児たちの「散華の舞」、明暗無堂会の尺八、清水流東行庵吟詠会の詩吟、京都島原の太夫による舞踊が奉納され、最後に高杉家五代目当主の高杉力氏が「(晋作は)二七年という短い生涯だったが、一五〇年という人生の何倍もたっても、忘れられず皆さんに愛してもらっている。その血筋であることに身が引き締まる思いだ。一五〇回忌を執りおこなわれたたくさんの方の尽力、吉田地区の皆さんが守ってこられたことに深くお礼申し上げる」とのべ、東行庵の世話人代表が今後も高杉晋作の偉業を称え顕彰にとりくむ決意を語られました。
新地の「第一五〇回忌・高杉東行顕彰碑前祭」(主催/高杉東行顕彰会、新地自治連合会)では、実行委員長の清水勇作氏が、50年前から始まった碑前祭の歴史を振り返り「近年は市内外から参列者が増え、顕彰の機運が高まってきている」と喜びを語り、今後も地元を中心として次世代に事業を継承していくと挨拶。来賓挨拶、妙蓮寺住職による読経に続いて参列者の焼香に移り、地元の慈光保育園の園児たちや、今回初めて参列した神田小学校の子どもたちが焼香をおこなう姿が参列者の胸を打ちました。
また、下関吟魂会(会長・松本岳朱氏)の会員二十数人による合吟をはじめ、ソードダンサー「侍」(代表・髙部貢祐氏)の二氏と三人の小学生による剣舞、明和会(和田明社中)の三味線よる歌『男なら』が奉納され、高杉晋作の人柄や思想を浮き彫りにして、碑前祭を彩りました。
最後に劇団はぐるま座が「明治維新を成し遂げた10代、20代の若者たちが、世のため、人のために命をかけてたたかった心意気を継承し、下関から全国に発信して現代の世直しを求める人人に届けたい」と挨拶した後、『動けば雷電の如く』から“功山寺決起”の場面を披露しました。
行事の後の直会(なおらい)には、地元の人人を中心に栃木や京都から毎年参列している女性たちも出席して交流を深めました。
栃木県から参加した20代の女性は「はじめは新撰組に関心があり、その時代のことを調べていた。でも知っていくうちに長州藩が明治維新で果した役割、とくに高杉晋作に惹かれるようになった。ここ数年は毎年、碑前祭に参加して地元の新地町の人たちとも交流させてもらっている」と語り、「当時の歴史を知って、現代に生きる自分たちが、どう未来に繋げていくか。そのために歴史を顕彰することが大事だ」と論議が発展。大学では歴史を勉強したという女性は「理数系の知識なら現代社会に役立てることができるが、歴史や文学を学ぶことが何の役に立つのかという空気もあるなかで、教授は“先人たちの歴史にはこれからに役立てるものがある。だから勉強するんだ”と言っていた」と語り、各地での『雷電』公演の反響や、とりくみのなかで掘り起こされてきた維新の誇りに関心を寄せ、「明治維新を扱うドラマはよくあるが、どういう人たちがどんな思いで成し遂げていったのかを真正面から描いたものはほとんどない。来年といわず、またどこかで交流が持ちたい」と期待を語っています。
『動けば雷電の如く』の寸劇を披露
すばらしい剣舞を奉納されたソードダンサー侍の皆さん
奇兵隊創立の地である吉田・東行庵での墓前祭
『動けば雷電の如く』大分県内公演
5/29(日)13:30
佐伯市蒲江中央公民館とりくみすすむ
5月29日(日)午後1時30分から佐伯市蒲江地区公民館でおこなわれる『動けば雷電の如く』蒲江公演に向けて、勢い良くとりくみがすすんでいます。昨年10月の佐伯市和楽、弥生文化会館の公演の反響が広がるなか「蒲江でもぜひ上演してほしい」という声が上がり実現しました。
リアス式海岸が続く豊後水道は日本でも有数の好漁場で、佐伯市の南端、宮崎県に接する蒲江もブリ、はまち真珠などの養殖、まき網、定置網、また潜水などの漁業、また水産加工業が町を支えています。
しかし、10年前の佐伯市と南海部郡八町村との広域合併で、九州一大きな面積の市になったが、旧郡部の合併後の疲弊は著しく、蒲江も人口が減少するなか、中学校に続き、来年には七つの小学校が統合され小中一貫校になる。これからどう地域を発展させていくのか、切実な願いが充満するなかで『雷電』のテーマが熱烈に受け止められています。また、昨年10月の佐伯公演を取り組んだ人たちが継続してとりくみに参加されています。
蒲江公演実行委員会の実行委員長には初代かまえ浦づくりの会の会長の坂本義明氏(退職教師)が就任。「地域の担い手がどんどん減っていく中で、世の中を変えていったこの当時の人たちの精神が、今こそ必要だ。各地で高杉のようなリーダーを見つけなくてはいけない」「紙芝居を観て佐伯公演の感動が蘇ってきた。来年には小学校が統合され地域が寂しくなるが、後ろ向きになるのではなく、これを機に各地域が独立した力を持って横に連携していくきっかけにしたい」「私たちも動けば雷電の如く動かないといけない」「地域の活力になるとりくみにしていこう」と話し合われるなど、公演への期待が高まっています。
大分県佐伯市蒲江地区の春祭り
劇団はぐるま座
〒751-0833 山口県下関市武久町2-61-10
TEL 083-254-0516 FAX 083-252-5964
E-mail haguruma@crux.ocn.ne.jp